ボサノバシンガー 田坂香良子 -KAYOKO TASAKA-

コラム

時間

今話題の、徳永英明さんのVocalistというアルバムを聴いていたときのこと。

「ダイヤル回して手を止めた〜♪」

あ〜、この感覚。忘れてたなぁ。
ダイヤル式の電話がプッシュフォンに変わり、携帯に変わっていく、この変遷の中で、あの
「ダイヤルを回す」
という動作をわすれてしまっていたことに気付きました。
好きな人に電話をするときの、あのドキドキ感。
それが、あのダイヤルの「ジジジジジジ・・・」という音の記憶と一緒に戻ってきました。
6桁とか7桁の数字を回している間の時間。
結構長いんですよね。
その間に、いろんなことが頭の中をよぎるのです。
「彼じゃなくて、お母さんが電話にでたらどうしよう。」とか・・・(奥様、じゃなくて、お母さんですよ!念のため・・・笑)。
「ダイヤル回して手を止める」ことも何度もあったあの頃。
なんかとっても時間がゆっくり流れていて、その分感情が細やかだったような気がします。

手紙もそうかも。
ブラジルにいたころ、メールなんてまだ全く普及していなくて、通信の手段は電話と手紙。
その手紙もちゃんと届くかどうかわからない郵便事情だったから、出した手紙の返事が来たときのうれしさといったら、もう!
ポルテイロ(マンションの受付にいる管理人みたいな人)が毎日部屋のドアの下にある隙間から手紙を投げ込んでくれるのだけれど、外から帰ってきて、ドアを開けたとき、床に手紙があるのを見るのがどんなにうれしいことだったか!!
あ〜、なつかしいなぁ。
たぶん、PCや携帯に、メールが届いているのをみつけるのと同じ感覚ではあるかもしれないけど、それよりももっとうれしさを凝縮した感じかな。
メールもそれなりに時間をかけて書く場合もあるけれど、手紙の場合は、本当に時間がかかるわけで。
何度も書き直したりしたらなおさらのこと。
その間中ずっと書き手は相手のことを考えている・・というその時間の重さ。
その上、出してから届くまでにかかる時間の長さ。
「思い」が届く時間が長い分、なんか熟成される感じがして・・・・。
受け取ったとき、その時間の長さが心にずっしりと、手紙と一緒に届く感じ。

今は、電話はみんな携帯で、直接個人と繋がり、ダイヤルじゃなくてメモリで一度ボタンを押せば相手に繋がり、メールも地球の裏側でもとなりに座っている人のパソコンにも同じようにあっという間に送れるし、とっても便利になったのだけど、その分もしかしたら心のヒダが少し少なくなったんじゃないかなぁ、とも思います。

昔を懐かしむわけじゃないけど(って、もう、十分懐かしがってますが・・笑)、ゆっくり流れていく時間もいいものだなぁ、なんて、ふと思ってしまった夏の終わりの夜更けでした。


(2007.09)