言葉と文化
この間、おもしろい話しを聞きました。
日本語はとてもあいまいな言葉なのだと。
たとえば、「古池や 蛙飛び込む 水の音」という有名な句がありますが、「いつ」なのか、「何匹」飛び込んだのかわからないでしょ?と。
確かに。
日本語には複数形がないけれど、それは必要じゃないから発達しなかったんじゃないかというのが、このお話しをしてくださった方の持論。
別に飛び込んだ蛙が何匹だっていいんですよね。
そういえば、そう。どうってことない。
っていうか、考えない。イメージとしては、一匹だけど。
夜、しずかな夜、月明かりの庭にある小さな池。縁側で夕涼み。するとかすかな音が・・
っていうのが私のイメージ。
この句を聞いて、イメージする状況は人それぞれだと思うけど、曖昧だから、イメージがひろがっていくんですよね。
これが日本語の美しさであり、よさなのでしょう。
言葉は文化。
ハワイの言葉には雨に係わる形容詞がとっても多いそうです。
そして、エスキモーの人達の言葉には氷に係わる形容詞が多いらしい。
やっぱり、言葉は文化なのですね。
文化といえば・・・
先日、オランダに住む友達から「急に寒くなって風邪をひいた」というメールが来たので、「こちらも風邪が流行ってるけど、私は気合いで乗り切ってます」って返事をだしたら、「気合い、という言葉をひさしぶりに聞いた。こちらにはそういう言葉がない!」という返事。
「気合い」
よく使うけど、それを外国の人に説明しろと言われたら難しいですよねぇ。
日本人はきっと言葉で説明されなくても、気合いというのがどういうものかわかっているような気がします。
気合い。思いを込める、みたいなことかな。
でも「気」って不思議ですよね。
いろんな場面ででてくる。
気分がいい。気後れする。気遣いをする。気を揉む。気が付く。気になる。同じ「気」なのに、外国語にすると全部違う言葉になるんでしょうねぇ。
面白い。
あと、私の好きな言葉に人肌というのがあります。
人肌にあたためる・・・
ひとはだ。外国にもあるのでしょうか?
情緒のある言葉。
たぶん、私のわからない、文化に裏付けされた言葉がポルトガル語にもあると思います。
ボサノバをもっと思いを込めて歌うために、ブラジルの文化をもっと勉強しなきゃなぁ。
秋の夜長に異国の文化を勉強するっていうのも、いい過ごし方かもしれません。
ひとはだに燗をしたお酒をのみながら・・・・笑
(2006.10)