言葉と想い(その2)
私のことを「かよちゃん」と呼んでくれる、小さなファンがいます。
小学校2年生の女の子。
毎日、私のCDを聴いてくれているのだそうです。
彼女にとっては、まったくわからない言葉で歌っているにもかかわらず・・・
そういえば、私も子供のころ、まったくわけのわからない英語の歌とか、日本語だってしっかり意味がわからないような歌を聴いて楽しんでいたなぁ、と、ふと思い出しました。
私は、自分の母国語でもないポルトガル語で歌を歌っています。
しかもポルトガル語がたぶんわからないであろう日本の人に聴いてもらうために。
ボサノバはブラジルの音楽だからポルトガル語で歌うのが当然だと、なんの迷いもなく歌ってたけど、あるとき、
「ポルトガル語で歌う意味があるんだろうか・・・」
って疑問に思って、実はしばらく悩んでいました。
でも・・・
私にとってポルトガル語で歌うことが一番きもちを伝えることに繋がるのなら、もしかしたら、それでいいのかも。
言葉のわからない子供がいろんな歌を聴くとき、きっと心で聴くんだろうな。
だとしたら、心に響く歌を歌えば、もしかしたら、言葉は問題じゃないのかもしれない・・・と、彼女の存在が気付かせてくれました。
想いを音に乗せること。
それが歌うということなのかもしれません。
好きな歌を好きな言葉で歌っていく・・・
日本語、ポルトガル語、英語にこだわらず。
なんだか、世界が広がったような気がします。
すごく大事なことを気付かせてくれた、ゆずきちゃん、ありがとう。
(2006.03)