ボサノバシンガー 田坂香良子 -KAYOKO TASAKA-

コラム

2023年の総まとめ

<2023年12月31日>
いつまでも暖かく、年末という感じがしないまま大晦日を迎えました。
気づくと紅白も始まっていて、そうだった、大晦日だったんだ・・・と。
昼間、テイクアウトした藪そばの年越しそばをおいしくいただいたにもかかわらず(笑)。

今年は本当に本当にいろんなことがありました。

まずは2月に膝の手術をしたこと。
昨年末に突如、膝痛が悪化し、あるけなくなってしまい、今年のお正月は文字通り寝正月。
一週間ほど本当に歩けませんでした。
これではこれからの人生どうしょうもない、と、友達に相談して、彼女のご主人が整形外科部長をしている病院へ。
ちょっと遠かったけど(成田市)、信頼できる先生にどうしても診てもらいたかったから。
で、結局、診察の当日に手術することを決め、しかも両膝同時に、手術が2月20日に決まりました。帰宅してからは、手術することを決めたけど、両膝だし、全身麻酔だし、何があるかわからないから、と身辺整理を始め・・・笑。ある程度覚悟して2月、手術に臨みました。
手術後、目覚めたら、両足が足首から太ももまで包帯でぐるぐる巻き。まるで足だけミイラみたい(笑)。そんな状態でも、翌日からリハビリが始まり・・・。信じられないことに、2週間後の退院時には、杖をついて歩いて退院できました。今の医学の技術はすごいです!
先生はじめ、リハビリの先生、看護婦さんのおかげで順調に退院の日を迎えました。
2週間というのは筋肉が弱ってしまうには十分な時間だったらしく、退院してからはとにかく筋力をつけることに集中して生活しました。筋力=体力=気力ということを実感した数か月でした。
リハビリにも通い、毎日の自主練もかかさずやり、おかげ様で、いつの間にか杖に頼ることなく歩けるようになり、バスにも乗れるようになり、電車にも乗れるようになり、普通の生活ができるようになりました。膝回りの違和感はまだまだありますが、痛みは無くなりました。手術して本当によかったです。

そして6月。
術後、何か目標をもってそれに向かっていけば頑張れるかと思い、6月に復活ライブを企画し、リハもしっかりやって、そしていざ本番!という3日前。
喉が少し痛かったので、念のために近所のクリニックに行ったら、なんとなんとコロナに感染していることがわかり、ライブはドタキャン!
コロナが2類から5類に変わるころではありましたが、まだまだコロナが蔓延していたころだったので、もう最大限の注意をし、もちろんワクチンは打ち、マスク、うがい、手洗いはもちろん、免疫力がアップするというヨーグルトも毎日食べ・・・・。それなのに、それなのに・・・。
自分の症状より、とにかく家族に感染させたら大変と思い、自室に籠った2週間。
おかげで家族にはうつらず、私もワクチンのおかげか61歳以上に処方してもらえるラゲブリオのおかげか比較的軽くすみ、なんとか一件落着。

その後は、逆にコロナに関しては恐怖心がなくなり、楽に毎日過ごせるようになりました。
8月には久しぶりにギターとのデュオライブもし、また8月、10月にはパーティでバンド演奏もし、筋力が戻ってくると同時に体力も気力も戻ってきました。

そして、11月30日。
Jz bratで2回目のBossa Aquarelaのライブ。
この日を迎えるまで、6月のライブキャンセルのトラウマがあり、かなり精神的に大変でした。大きなライブをする責任に押しつぶされそうになった日々。
でも、何とか無事当日を迎え、当日は持っている力をすべて出し切りました。
リハーサル2時間、本番1時間のステージ2回。
大勢の方々に応援していただき、メンバーのサポートも受け、心から幸せなライブを無事終えることができました。

Jz bratライブが終わって一か月。
実は、まだ燃え尽き症候群から抜け出せずにいます。
でも明日から新しい年が始まります。気持ちを入れ替えないとね!

明日からの2024年、どんな年になるんだろう。
それより、私はどんな一年にしたいんだろう、と考えたとき、来年は、ゼロから1を生み出せることがしたいなと。たとえば、小説を書くとか、曲を作るとか。
あとは、いままでやってないことに挑戦したいなとも思います。
バンドライブは今はまだ先のことは考えられないのですが、また小さいライブから始めるかもしれません。初心に戻って。

言葉には魂が宿る。
来年の抱負を書くことで目標がちょっと明確になってきたような気がします。
とにかく健康第一。できることをしっかり一つずつしっかりやっていきたいと思います。

来年も引き続きどうぞよろしくお願いいたします。
みなさま、どうぞよいお年をお迎えください。
2024年は戦争が終わり、平和がもどる一年になりますように。


(2024.02)