ボサノバシンガー 田坂香良子 -KAYOKO TASAKA-

コラム

港と都の物語 第1話

港から正午を知らせる汽笛が響く。あ〜、もうそんな時間なのか、と健次郎はベッドから起き上がり、カーテンを開けた。横浜港の青い海に反射する陽の光が眩しい。
コーヒーメーカーを仕掛けてから、PCを開くのは毎朝の習慣だ。徹夜して書いた原稿が仕事先に無事に届いていることを確認していると、コーヒーの香ばしい香りが部屋中に拡がる。

 町田健次郎は、大手新聞社を六十歳で定年退職してから、私立大学の客員教授と経済評論家の二足のわらじを履いて暮らしている。大学の講義は週に一回、後は専門誌や新聞社から依頼される原稿書きと、たまにテレビにコメンテーターとして出演したりしている。
六十歳を過ぎてからも、世の中から必要とされていることに感謝しているし、それなりに充実している毎日だと健次郎自身思っている。家族を除いては…。

 八歳年下の妻の貴子とは、健次郎が記者時代の取材先を通して知り合った。
有名家具店の広報として利発にきびきびと質問に答える美しい貴子に、健次郎は一目惚れした。
取材と称して食事に誘い、何度か逢瀬を重ね、健次郎は貴子に求婚した。
健次郎、三十四歳、貴子二十六歳の時である。
貴子が広報を務める家具店は、実は貴子の実家であり、父親が社長を務めている。跡取りは貴子の兄の孝雄に決まっており、兄と妹で父親を支えていたこともあり、結婚後も仕事を続けさせて欲しい、というのが条件だった。健次郎は、仕事柄不規則な暮らしぶりゆえ、妻を家庭に縛っておくつもりは毛頭なかったので、貴子の申し出を快く受けた。
家具屋の娘だけあり、南青山のマンションの新居は、ショールームのようだった。
賢く美しい妻は、健次郎の仕事になるべく時間を合せるべくして家事と仕事を両立してくれた。
健次郎は幸せだった。

 しかし、それも長くは続かなかった。貴子が三十歳の時に、兄の孝雄が交通事故で急逝した。
独身で子供もいなかった孝雄の代わりをするのは、貴子以外にはいなかった。
貴子の父親の命令で、三十歳の貴子がいきなり社長見習いとなり、父のもとで社長修行の日々が始まった。貴子は仕事上は町田姓を名乗らず、旧姓「大谷」を名乗った。
 実は、健次郎が婿養子に入り、跡を継ぐという案も出た。実際、舅姑からも頭を下げ頼まれもした。貴子もそれを望んだ。しかし、そればかりは健次郎のプライドが許さなかった。
新聞記者になりたい、それは幼い頃からの夢だった。京都大学を卒業して、第一志望の毎朝新聞に採用が決まった時は、天にも昇る気持ちであった。その夢を途中で壊すことは健次郎には出来ない。
健次郎は貴子の社長業を蔭ながら応援する決意をした。

 しかし、擦れ違いの生活が始まるのは当然のことであった。健次郎が帰る頃には貴子は寝ていた。
健次郎が起き出す頃に、貴子は既に出かけていた。寝室はいつの間にか別々で、食事も各自で済ませるようになり、会話もなくなり、用件のある時はメモ書きやショートメールのやりとりで済ませた。そんな生活だから、子供も出来ず、気づけば貴子は四十を過ぎ、子供のことは自然と諦める形となっていた。
そんなある日、家に帰ると、照明もついていない真っ暗な部屋の中で、金色に光る二つの玉が健次郎の方に向かっていた。驚いた健次郎は照明のスイッチを点けると、ソファの上に一匹の猫がいるのを発見した。実は、健次郎は猫が大の苦手なのだ。猫アレルギーでもある。そのことを貴子は知っているはずだ。
寝ている貴子を起こして、どうして猫が家にいるのかを尋ねた。
突然起こされたことを迷惑そうな顔をしながら貴子は言った。
「だって、家には子供もいないし、毎日疲れ果てて帰って、猫ちゃんの癒しくらい欲しいじゃない」
「俺が猫アレルギーだって知ってるよな」
「殆ど家にいないんだからいいじゃないの。猫が嫌なら出て行ってよ」
「君は、夫と猫とだったら、猫をとるのか」
「くだらない質問ね。疲れてるんだから寝かして」
そう言って、貴子は勢いよく布団を頭からかぶり、健次郎の質問を無視した。
すぐに貴子のいびきが聴こえてきた。

 十畳一間のワンルームマンションには、ベッドとテレビと、小さなソファ…必要最小限のものしか置いていない簡素な部屋だ。南青山のマンションと比べれば、きっとそこは納戸くらいのものだろう。しかし、窓の外に拡がる横浜港の景色は、健次郎の心を鎮める何よりのカンフル剤だった。
晴れた日には青い海にカモメが飛び交い、大桟橋には世界中から訪れる豪華客船が観える。
夜になれば、漆黒の闇に浮かび上がるベイブリッジと、みなとみらいの宝石を散りばめたような夜景が目の前に拡がる。
今更離婚する気力もない。貴子も何も言って来ない。いっぱしテレビに出るようになって顔が知れるようになった夫、というのも、貴子にとっては仕事上のお飾りの一部なのかもしれない。
この気楽な晩年の生活は、意外となるようにしてなったのかもしれない、と健次郎は思ってもいた。

 いつものようにコーヒーを飲みながら、明日の大学の講義の資料を揃えるうちに、仕分けしそこなっていた郵便物が何通か混ざり込んでいることに気がついた。
その中の一通に往復はがきがあった。差出人は大学時代の友人名。
『久しぶりに、母校京都で同窓会をやらないか。
そろそろあの世に逝くやつもいるだろう、今やっておかないでいつやる?
これが最後だと思って集まろう(笑)』というユーモアたっぷりの挨拶文。
健次郎は、スケジュール帳を拡げ、しばらく考えて、『出席』の方に〇をつけた。

「久しぶりに行ってみるか、京都」と呟いた。

(2020.05)