港と都の物語 第4話
真理子は四条室町の母が住むマンションに戻り、「やっぱり着物は疲れるわ」と独り言を言いながら、柔らかい木綿のゆったりしたワンピースに着替えた。
昔は呉服屋が並んでいたこの通りも、今はマンションや飲食店ばかり。歩いているのは、ペラペラの安物仕立ての着物を着た外国からの観光客だけ。昔の旦那衆はどこに行ったのだろう、と京都に帰るたびに様子が少しずつ変わるこの通りを寂しい想いで眺めるのだが、そういう真理子の実家もいつのまにかマンションになっていた。
今日は、夏の暑い最中、母がどうしても岡崎にある親戚の家に届け物をしてほしいというので、出かけたのだった。
呉服屋の一人娘として育った真理子には、着物は身近なものだったが、東京に嫁いでからは着る機会はめっきり減ってしまった。京都に帰るたびに、「たまには着物も着なさいな」と母に言われ続けていたのだが、今回は、親戚のところに顔を出すのだからと、たっての母の希望で紗のお召しを着て出かけたのだった。久し振りに帯をきりりとしめると、背筋も伸びるような気がした。「たまにはええもんやなぁ」とすっかり京都弁に戻った真理子はつぶやいた。
親戚のところには、届け物だけして玄関先で挨拶だけしてさっさと帰ってきてしまった。いろいろ聞かれるのも面倒だったし、何より話すことでいろいろ思い出すのが嫌だったのだ。
玄関先だけなのに、なぜかとても気疲れしてしまい、帰り道、せっかくここまで来たのだからちょっと足を延ばして懐かしい場所に行ってみようかなと思い立った。住宅街から大通りに出てタクシーを拾い曼殊院へ。観光客ばかりの街中とはちがい、静かで落ち着き、ゆったりした時間が流れているこのお寺のことをふとおもいだしたのだった。東京に嫁ぐ前、何故かは忘れてしまったが、父と二人で行った。そういえば、あれも夏の初め・・・。
ぼんやりと枯山水を眺めていたら、人の気配がした。暑そうにハンカチで汗を拭いているその顔に見覚えがあった。テレビでたまに見る経済評論家。なかなかのハンサムで話も分かりやすく、同年代であることから親しみを感じていた。
ちょっと迷ったけれど、思い切って声をかけてみた。こちらが一方的に知っているだけの有名人なのに、テレビで見るよりずっと柔らかい物腰で気さくに話をしてくれてびっくりした。ゆったりした時間が流れる中、心地よい会話が続いた。だれかと話したいと心の底でずっと思いながら、なかなか友達にも話せず、親戚には話すことさえ拒んで早々に立ち去ったというのに、初めて会った人にいろんな身の上話をしてしまった自分に驚いてしまった。
久し振りに自分が解放されたような気持になって、「もっと話したい」と思っていた時、母からの電話で呼び戻され、後ろ髪をひかれる思いで帰ってきたのだった。こんな気持ちに自分がなるなんてなんだか不思議な気分だった。
母の急用とは、まったくたいしたことはなく、なかなか帰宅しない真理子を心配しての電話だった。もう還暦を過ぎた娘でも、いつまでたっても娘は娘。昔は過保護すぎる母に反抗もしたものだったが、今は、その母の思いに素直に寄り添うことが親孝行と思って過ごしている。
普段着に着替え、ほっとしたところで、ソファーで寝ころびながら、スマホを手に取り検索画面を立ち上げた。
「町田健次郎」
京大卒の元新聞記者。大学の客員教授。経済評論家。
そして既婚。
夫人は、あの有名家具店の社長。なるほど。お似合いのカップルだなぁと思い、なんとなくがっかりしてスマホを置いた。
(2020.05)