港と都の物語 第6話
七月に入り、京都の街はいよいよ本格的に祇園祭一色となってきた。あちらこちらからお囃子の音が流れ、否が応でも気持ちは盛り上がる。
市内を鉾が巡行することで有名な祇園祭りは、実は八坂神社の祭礼で、七月一日から始まる一か月間の長いお祭りなのだ。
一日からいろいろな神事が行われ、十日頃から鉾建てが始まり、十七日の前祭りの山鉾巡行でクライマックスを迎えるが、そのあとも、後祭りや花傘巡行など様々な行事があり、三十一日の疫神社夏越祭で幕を閉じる。
でも何と言っても一番にぎわうのが、巡行の当日とその前々日から始まる、宵々山、宵山だろう。
鉾の建っている室町通りなどは歩行者天国になり、夜店もたち、鉾町では絢爛豪華な懸装品で飾られた鉾の下で、それぞれの鉾の厄除け粽など、その鉾にちなんだものが売られる。そして大勢の見物人でにぎわう喧騒の中で、「粽どうですか〜!」という声があちこちで響き渡る。
この宵山の期間には、旧家や商店では伝来の屏風等の家宝を通りから見えるように展示するのだが、それもまた祇園祭のこのときにしかみられないもので、真理子の小さい頃は、父や母がいそいそと準備していたものだった。
「それも今は昔の話になってしもたなあ」と、店の跡地に建てたマンションの部屋で母と話していたある日、今も鉾の保存会に入っている母が、「せっかく帰ってきてるにゃし、今年は粽でも売ったらどうえ?」と言い出した。
真理子が高校生の頃は「宵山に誰と一緒に行く?」というのが、今でいう「クリスマスイブに誰と過ごす?」というのと同じくらいのワクワクした話題だった。浴衣を着て、なれない下駄を履いて、鼻緒ずれをがまんして、夜の人混みの中手をつないで歩くしあわせ。なんとも懐かしいあの頃。
「もう一度あの頃に戻れたら、どんな人生を送っていたかなぁ」と、母から言われた一言で妄想の中に迷い込みそうになった真理子は、慌てて「そやなぁ。やってみようかな」と返事をし、せっかくだから友達の加奈子もさそうことにして、早速電話をかけてみた。
加奈子は高校の同級生。学生時代のボーイフレンドと結婚をし、男女2人の子供に恵まれたが、いろいろあって離婚し、今は、優雅に独身生活を送っている。さすがに母と二人で家にいるといろいろ気づまりなこともあり、京都に帰ってからは、同じく独り身の加奈子とたまにランチをして息抜きをしている。
「やろう、やろう!懐かしいなぁ!」と二つ返事の加奈子と、早速、どんな浴衣で行くかと話が盛り上がった。
宵山を迎えた十六日は朝から好天に恵まれ、人出は最高潮。昼過ぎから「粽どうですか〜」と笑顔を振りまきながら、加奈子と二人で昔にもどり楽しい時間を過ごしていた真理子に、幼馴染でお囃子方をしている浩平が声をかけてきた。
「真理ちゃん、加奈ちゃん、久し振り!今日、よかったら夜、僕らと一緒に御旅所まで行かへんか?」
明日はいよいよ巡行。その巡行の安全と好天を祈願して、お囃子方と一緒に四条寺町にある御旅所まで行き、御旅所でお囃子を奉納して、また帰ってくるという鉾町の行事、日和神楽。昔は夜遅いこともあり、行きたくても行けなかったのだが、もう今は自由の身。二人は大喜びで、このありがたいお誘いにのることにした。
日も暮れて、ますますにぎわいを増したとき、ふと目の前に現れたその人をみて、真理子は心臓が止まりそうになった。
「まさかこんなところでまたおめにかかれるとは」
と、その人は、あの時のあのあたたかい眼差しで真理子をじっと見つめた。
「あ、先生・・」
「とちごて(違って)、町田さん・・・。まだ京都にやはったんですか?」と、ことさら平静を装い聞く真理子の横で加奈子が町田に向かって話しかけた。
「もしかして、あの町田健次郎さんですか?いや〜、うれしいわあ。私、大ファンです。真理ちゃん、知り合い?」
昔から、人見知りする真理子とは正反対に、物おじせずだれにでもすぐに屈託なく話しかける性格の加奈子は、そのあとも町田と話し続け、町田が友達に講演を頼まれ京都に来たこと、その講演が十七日にあること等を聞き出していた。
人ごみに押されながらも話してくれる町田が気の毒で、真理子は「ちょっとこっちへいらっしゃいませんか?」と、鉾の前にあるマンションの玄関のホールに町田と加奈子を誘った。
「それにしても、すごい人出ですねぇ。お二人はこの辺りの方だったのですね?」
「そうなんです。真理ちゃんのお母さんがこのマンションに住んだはって。頼まれて私ら粽の売り子してたんです。あ、そうや、今日、夜の十時ごろからお囃子方と一緒に御旅所まで行くんですけど、お時間あったら一緒にいかはりませんか?」
真理子は、矢継ぎ早に町田に話しかけ、ここが母のマンションであることまで言ってしまう加奈子に動揺しながらも、誘ってくれた加奈子に心の中で感謝していた。
「御旅所?」
真理子の目を見ながら質問する町田に、やっとのこと会話を引き取り、日和神楽の説明をし、「ご迷惑じゃなかったら」と控えめに誘った。
「こんなおきれいな方々から誘われて、断るわけにはいかないじゃないですか。もちろんぜひご一緒させてください。十時にこちらにうかがえばいいですか?」
と、答える町田の目は相変わらずやわらかい光をはなっていた。
一度マンションの部屋に戻り、シャワーを浴び、新しい浴衣に着替えた真理子は、控えめに化粧をし、約束の時間の少し前に玄関のホールへ降りて行った。しばらくして、いつにもまして華やかな加奈子が到着し、十時ちょうどに涼やかに麻のジャケットを着てラフな姿の町田が現れた。
浩平たちお囃子方と落ち合い、三人は数人のご近所さんと一緒にお囃子のあとに続いて御旅所まで練り歩いた。御旅所でお囃子を奉納したあと、またマンションまで戻り、三三七拍子でお開きになったときには、もう十一時を回っていた。
夏の夜の風が心地よく、祭りのせいだけではなく高揚している自分に気付き、慌てて町田の顔を見た真理子の目に、優しい町田のまなざしが重なった。
(2020.05)