ボサノバシンガー 田坂香良子 -KAYOKO TASAKA-

コラム

京ことば

暑かった夏があっという間に終わり、まだ8月なのに、もうすっかり気分は秋・・・・。
涼しい、を通り越して、朝夕は肌寒いほど。
でも、先週京都に帰ったときは、京都はまだ夏の名残が十分にありました。というか、まだ夏でした(笑)

ここのところ、京都に帰ることが多く、また同級生や昔の仲間たちにあうことも多くなり、自分が京都人だということを改めて思うこのごろ。
でも、そう思う一方で、京都で生まれて育ったのに、東京での生活が長くなってきて、忘れていることも多いな、と。

友達からの京都弁のメールを見ながら、あ・・・、そうか、メールは口語だから京都弁なんだよなぁ、と標準語(笑)で思ってしまう私。
普段、関西なまりの言葉をしゃべっているにもかかわらず(苦笑)

京都に帰って、どっぷり京都弁の中にいたとき、ふと昔々、子供のころに祖母が話ていた京ことばを思い出しました。
いまでは、あまり話さなくなったことばかもしれないけど。

「行ってきます」と言ったら、「おはようおかえり」。
「ごちそうさまでした」と言ったら、「よろしゅうおあがり」。

「おはようおかえり」は決して「今日は早く帰ってきなさい」という意味ではなく(笑)、「気を付けていってらっしゃい。無事に帰ってくるのを待ってますよ」という意味。
そこには、包んでくれるあたたかさ、とか、守られている安心感とか、そういう大きな愛がある・・・・
今、私が家族の「行ってきます」の言葉に「おはようおかえり」とかえしたところで、私が家族が帰ってきたときいないこともよくあるわけで(笑)、言葉とともに行動にも愛がない・・・な〜んて思ったりしますが、でも、なんか「おはようおかえり」という言葉を使ってみたくなりました。

「よろしゅうおあがり」は、「美味しく食べてくれてありがとう」というこれまた愛に満ちた言葉。

言葉は文化。
相手を思いやる気持ちを大切にしている京ことばを思い出しながら、ますます言葉を大切に、その言葉の持つ意味を大切にしていきたいなと思いました。
そしてそういう言葉はもちろん京ことばの中にだけではなく、東京の言葉にもポルトガル語にもあるはずなのだから。

”Vai com Deus"(行ってらっしゃい。神様と共に)
”Fica com Deus"(行ってくるよ!待っててね。神様と共に)






(2015.08)